下の世代と明らかに思考が違うと感じた瞬間があって。
好意の表現について「推し」というものを聞く。
その推しを自分の中で咀嚼した時に、
自分の好意の対象は「推し」でないことに気づく。
好意を注ぐという意味では同じなんだけど
萌えや見蕩れであって推しではないな。って。
語源がアイドルという並列的な組織に対して、
並列から前に出すニュアンスを感じた時に人より前に出したいわけじゃないって繋がりました。
そもそも地下アイドル興味ないし。
我々の・・・というには主語が大きいですが、
推しというより、俺の嫁というほうが的確なのだ。
いわゆる独占欲。
そしてそれを許さない「いや俺の嫁」「ならば戦争だ」の流れ。
好意へのアプローチの方法が、排他的を装った共感からくる同志
はたまた共感から始まる同志という形
前者は実におたくらしい拗らせ方をしていて、
でもそれが愛おしいと思うのだ。
おたくと呼ばれる趣味が世間から見て否定的だった世代の特徴であって。
否定的な社会だからこそ、自分が好きなものに正直でありたい
マイノリティな同志の発掘。
突き詰めると、わかる人だけでそれを享楽できれば
十分っていう社会に対する踏み絵のような。
それを思えば、今はいい時代なのかもしれない。
そんな時代でも尚、陽キャ陰キャなんてカーストを作ったりして
人の考えることにきりはなし。