追体験というと、追っかけの体験なので
聖地巡礼だったりとかそれも一つの追体験だったりする。
尤も作者がインスピレーションを得た経験を
体験できるかと言うと微妙だが、できるだけ近づきたいなんて思う人もいる。
という事で、今日の話題は追体験
あるとすれば大きく二つ。
リスペクトに起因する追体験
記憶に想起される追体験
一つ目のリスペクトに起因するもの。
誰かや何かの作品に感銘を受けて深入りしようとした所にあるもの。
基本的に自身は未体験である事が多い。
聖地巡礼とかはまさにそれで、飽くなき探求への道しるべだ。
もう一つは記憶に想起する追体験。
一つ目とは違い、既に経験済みであるもの。
記憶という構造が脆弱である故に行われる。
記憶というものは、本来大容量であるが実に都合が良く、消失する。
経過すると、その渦中において抱いていた感情が削ぎ落される。
その削ぎ落された部分を補間するために体験する。
・・・つくづく人は記憶に縛られる、というと主語が大きいが
そういう部分は確かにあるように思う。
もし、記憶を失ってしまったならば
あの日に抱えた後悔をなかった事にできるだろうか。
あの日に抱いた感動がなかった事になるのだろうか。