BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

とりとめのない乱文は、恥の書き捨て

半年前に比べリモートワークは、かなり認知・普及されてきました。
僕らは前々からやっていたスカイプ飲みさえも
ツールこそ異なれ割と選択されるものになり、ラジオでもそれを模したラジオドラマが展開されるくらいです。

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第733回 2020年4月26日放送「リモート収録に挑戦! ぺこぱも登場!」

出勤であったり、面と向かって飲む酒なり
割と最近まで大切にされてきた感はあるのですが、
今になれば結構贅沢な事をやっていたなーと思うものです。


というのも人間の実体を動かすのは凄くコストがかかるものなのです。

新年を祝いたいが、直接あいさつに行けない代わりに生まれた年賀状であったり
10円1分で自分の声を届けられる電話であったり
およそ連絡と言われるほぼすべてのものは人間の実体を必要としていません。
それでも手書きのサインや、録音音声に愛着を持つ気持ちすごくわかる一方で
あけおめメールなんて文字でしかないのに、それで十分と思う人もいる。

そんな感じで電信や電話といった即時性の連絡手段と
署名や手紙といったアーカイブ性を持った連絡など
人類の発展において、実体を動かすコストを減らす事は
必然だったともいえましょう。

 

 


さて、ここで話は唐突ですが、最近VR飲みが非常に良いw
今に始まったわけでもなく、1年以上前からヘッドマウントディスプレイ越しに
ビールのプルタブを開けてましたが、これもそろそろ社会的に市民権得られないですかね。

やってることはオンライン飲みと同じだし
IDに紐づくアイコンが画像から3Dモデルに変わっただけと思えば、
VRとはそんな乖離したものではなく、ただの延長線上に過ぎないのではないかと思うのです。


・・・一方であまり普及してほしくない気持ちが十分にあります。

というのもスマートフォンキャズムを超える前のTwitterソーシャルメディア
まさに今のVRのようなそれぞれが一定のリテラシーを持っていて
秩序ある混沌を享受できる素晴らしいツールだったのです。

乱暴な言葉でいうなればPCでネット繋ぐリテラシーのない
キチガイでもスマートフォンで繋げられるようになってしまってから、
悪意のある奴が跋扈していて憎悪は拡散され
デマに踊らされる人で溢れ、まともに機能しなくなってしまいました。


最近Serial Experiments Lainを見ました。

 

人は誰しも繋がれている。という命題の元に話がすすむものです。
1998年の作品にして先見性が非常にあり、2010年までは間違いなく
作品で描かれていた世界を現実はトレースしていました。

2020年になって、振り返ってみると
「人は誰しも繋がれている。」というものは達成されたように思えます。
しかしその実装は、Lainで描かれているものよりも劣悪なものでした。

というのも、そもそも誰もが参加できるコミュニティなんてものは幻想だった
人は経済の格差や、知能の差があって平等でも均質でもない。
だから自分とレベルの異なる人に接触すると疲れてしまう。
結果、学歴や職業などで振り分け、自分と似たレベルの人といる方が楽しいし
それは実社会のコミュニティで満たせる。

だけどかつてのインターネットや今のVRChatに代表されるVRの世界では、
一定のリテラシーとスキルというレベルが要求された。
そのため実社会でなくとも、同じレベルの人と楽しめる。

となれば、いつか誰もがVRコンテンツに参加できるようになった時
そこに広がる世界は今よりも息苦しいものになっているかもしれません。
かつてのソーシャルメディアが歩んできた道のように・・・。

そんな事を思ってました。
起承転結のない、いつもの怪文章でした。
でもやっぱり思うんです。

15年前、帯域とツールの進化に法や行政が全く追いついて無かった頃は
本当に何でもできて、常に祭り状態で、あの時代に漂っていた
空気感はもうなかなか味わえないと思う。