BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

今日は5年ぶりに中野に行ってきた。
確か5年前ははやぶさ飲み会で雨の中野を歩いたんだった。
Twilogはすごく便利で、忘れていたものを思い出してくれる。
全く見当もつかなかったのに、思い出せてしまうのだ。

 

週末はなるべく外に出るようにしている。
ただでさえリモートワークで家から出なくて(出られなくて)
週末も家に籠るとなると、もはやセルフ幽閉だ。
ずっと変わり映えのない景色を見ると、気が滅入ってくる。
好きなものに囲まれているのにも関わらずに、だ。

だから外に出る。気分転換に。
とはいえ、今まさに抱えている問題を置いていく事はできなくて
休日で抱えたくない嫌な仕事の事が頭の中をぐるぐる回るか、
向き合いたくない人生とかいう答えの見つけようもない難題が
頭の中に出てくるし、それの相手にしたくないから
誤魔化すために出ているというのもある。

そうして他の事をインプットして上書きするようなことをして・・・って
そう書くと消極的なんだけど、やってる事は新しい本見たり
ゲーセン行ったり、街並みを眺めてみたり、ただ流れる空を眺めたり
やってる間は結構充実するんだけど、帰りの電車にはぐんにょりしたりする。

自分はもっといろんな事ができたはずなのに、
目の前に描かれてる世界は全然そんなことはなくて・・・
そういう悶々とした思いを電車は家まで運んでくれる。

家に帰って、仕事に押し流されてたタイムラインの中で、
興味のあるバズったネタとかを見て見たりして、
うっせぇわ聞いたら掛け値なしにカッコいいと思った。

タイムラインを覗き見てみると、どうやらその曲は
拗らせた人にお誂えされたという穿った評価が下されてるようだった。

大人になるってそういう事だよね、なんて思って
そして自分はまだそこに共感を見出せるあたり子供なんだななんて。

もう取り返しのつかないくらい時間を経ても、まだ良さを見出したりしてて
つまり自分の中で、その回路はまだ動いている。
いわゆる誰もが一度は通っておくべき、拗らせた回路。
社会と言う得体も知れない化け物に飼われる前に
受けておくべき予防接種ともいえるそれだね。

だけどそれもありなのかな、って思ったりする。

俗にいう自称天才というのは可能性をまだ求めているし、
一切合切凡庸なあなたは諦観を受け入れたと考えたりする

そして思いを巡らせた先にあるのは日々の中にある、何かうまく行ってない感覚。
それは自分の中にある拗らせた回路がまだ錆び付いてなく
元気に動いてる証左で、とっくに諦めてるはずのものに
まだ可能性を求めているから、それと現在のギャップに削られてるかもしれないと思ったね。

逆を言えば、その回路が錆び付いた時
今抱えている悩みから解き放たれるんだろう。
こんなはずじゃなかったと近過去を否定する回路。

まだ可能性を求めているから苦しめる、という意味で
まだターニングポイントは残されている。
ポイントオブノーリターンは過ぎているんだけど。

日々の中にある得体も知れない悩みや、
目先に抱えている、お世話の面倒な社会の存在と決別して
何か大きなことをすれば、今抱えている問題から解き放たれるのだろうか。

仮に解き放たれた所で、今まで見えてなかったものが目の前に出てくるかもしれない。
・・・でもそれは期待と不安に満ちた、自分の未来への選択だとしたら、
その道に踏み込めるだろうか

ターニングポイントがまだ残されていると信じて冒険の道を選ぶか
ポイントオブノーリターンを過ぎたと諦観して
これからの世界を生きていくか・・・

そうして答えは見つからないまま、夜を過ごしていく。
考えたくもない割り振られたタスクを背負いながら