休み明けの気分が沈んでいる時は、思い切り沈めるところまで沈みたい。
潮干狩りのように、一番潮が引いた時にしか掘れない貝もある。
これだけ連休があった後だから、思い切り暗い文章が書ける。うれしい。
世間的には10連休なんて言われて、今回はそれを味わうことができた。
そう滅多にはないもので、その上で何も宣言が出ていないのだ。
自治と自省は必要ではあるがつまりそういうこと。
今回は鉄道で旅をしてきた。
メインディッシュとデザートの2本立て。
メインディッシュはフォロワー1400弱いて、多少のしがらみで載せられないのが残念である。いつかは伸るかもしれないけど、反るかもしれない。
そしてデザートのほうは、それだけいる中でも2人わかればいいくらい閉じた話。
いやもう、覚えてる人いないかもしれない。
そもそもその時代にやななんはいない。
この文章のタイトルを捩った友のHNを検索しても、もうほとんど出てこない。
ジオシティーズすらなくなった世界線を生きているからね。
今回は特級怪文章でお送ります。
推敲もしないし体裁も気にしないし、誰かに充ててるわけでもないので、後日見たら黒歴史になるタイプの文章です。でもたまにはそういうのを書きたい。満ち欠ける感情の波の中の極地で思う事は書き留めておきたい。ログとして残しておきたい。
蒐集癖もここまでくるとバカだな
六甲口駅の灘区桜口。やななんとしてここに来たのは初めてだけど
それ以前の姿を含めれば6116日ぶりで2005年8月以来だ。
その頃離婚数年後の父子家庭で、学生ともなれば相応に荒んでいて、最も地に足がついてなかった。金がたまればすぐにゲーセンで夜明けまで友と遊び、金がなければ夜通しでラグナロクオンラインをやる青春という、汗臭くドロドロした薄汚い時間を過ごしていた。
傍目に非行少年だったろうし、誘いと共に堕落し合った仲は良い目で見られなかったろうが、閉じた世界の中での彼らは最高に輝いていて、あと3年早ければ私が沙耶の唄のシナリオ作っててもおかしくないくらい世間と乖離していた。
そんな中で彼は1件しでかしてしまう。
ROのオフをするのに大阪まで行くのにスクーターを使う。神戸には去年まで一緒に遊んだゲーセン友達がいる。そこを拠点にオフやゲーセン巡りをしようと閃き、行動に移すところまではよかった。
理論上の移動時間と、現実的な移動時間の計算ができていなかったのだ。
ましてや大分県から兵庫県の下道、信号機もあれば渋滞もあり、坂道ではスピードも落ちる。 大分県を早朝に家を出て日付変わる前には神戸に到着する計算だったが日付が変わった時、まだ尾道に居たのだ。
当時はビジネスホテルに泊まるお金もなく、ネットカフェもほとんど存在しない。
未成年で補導対象なので、その辺をうろつけない。前に進むしかないが残り230kmある。
いつ頃到着するかわからなくなり、家主に遅れることを詫びたが快く許してくれ、ただ無事につくようにと背中を押された。
そして遅れること10時間半かけて神戸に到着する。
その10時間半は本来睡眠に充てられる時間だったが、そのままオフを決行した。それも徹夜で。3回目の朝に別れて、別の人とオフで日中を遊んだ。3回目の夜にようやく用事を終えて、家主の家に帰り2日ぶりの睡眠をとることにした。
ここには旅の果てで眠りに落ちた旅人らいふぁってやつが今も眠ってるって話だぜ pic.twitter.com/2ak8XPatch
— やななん (@yananan_) 2022年5月5日
・・・
最初から引き返すことなんて考えていなかった。
ただ前に進むしかないと自分を追い込む事が出来た。
ただの自己暗示に過ぎないだろうけど、すごく強力なエネルギーだ。
それから何年も経て、今はサラリーマンとしてぬるま湯にずっと浸かっている。
毎年245回、閏年のある年は246回やるせない気持ちで朝起きている
そんな日々を抜け出し本当にやりたい事を始めたい。
引き返す事なんて考えない前に進むしかない強さを彼は持っていた。
だけどその方法は愚かゆえに、すごく残酷な方法なんだ。
私には経験を積んでしまったが故にその方法がわからない。
彼に聞きに行こうと赴いたが、あいにく眠っている。起きる気配はない。
でも彼の事だから、目が覚めた時、起きる前の事を全部覚えているだろう。
そして私は、灘区桜口を後にした。
それから数日後、10日ぶりにやるせない気持ちで目が覚めた。
アラームが鳴ったらシャワーを浴びコーヒーを飲み、自発的に連れられてゆく。
こんな日々は夢とでも思ってなきゃ、やってらんない。
でもそんな日々の中でもボケれば笑ってくれる人や、他愛のない話ができる人によって、齎される幸せな日常があるから全部は捨てきれない。
この辺で、なんか文章作るの飽きてきた。
だけどこの日々は夢であってほしいよ。
いつか目覚めるのだろうかと、眠れない夢をずっと見ている
水銀主義の彼岸は此処にありましたとさ。