仰々しいタイトルをつけてみたが、結局どうすればいいかはよくわかっていない。
今の時点で対応がよくできてないというのが率直な所だ。
この「孤独という番犬」というフレーズ自体は、何年も前に放送されたTokyofmの「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」で伊集院光のゲスト回で出たフレーズである。
ここでは番組の中で話された内容と、自分なりに咀嚼したことについて触れようと思う。
番組に於いて、ラジオのパーソナリティというものは、ゲスト回は別としても1人でマイクに向かい話す仕事であり、アイドルとは勝手が違う事に慣れようとしているという内容に対し1人でマイクに向かい話し続ける事がそもそも異常だから、その年齢で孤独を乗りこなそうとしてるのはすごい、というものだった。
私はパーソナリティや生主なんてものをした事がないので、その感覚の全てをトレースできるわけではないが、この孤独という番犬は概ね思春期に差し掛かる頃にやってきて、自分の居場所を見つけたかのようにずっと留まっている。
そしてたまに暴れまわる。いわゆるヘラる前兆である。
そこで人は友達を呼んだり配信を見たり、酒を飲んでごまかす等なだめ方は人それぞれだが、ヘラった挙句孤独に飲まれて命を落とす人もいる
これは伴侶を手にすれば解消するものだと思っていたのだが、そうでもない事がわかった。
ちょっとした音で目を覚ます赤ちゃんや、止まってた時計の針が動き出すようにふとした瞬間にやってくるのだ。誰かと共にしても隙を突いてくるようにやってくる。
今の所暴れまわる事はないが、それでも傷を残す程度には出てくる。
きっとこれは二世が出来て、日々の慌ただしい生活の中でもやってくるんだろうと思う。手間がかかりすぎても苦しいが、暇な時にドアを叩いてくるんだろう。
恐らくであるが、これは死ぬその日までくるものなのだと思う。
言語化するならば「死ぬまで将来を不安に思う事にある」のだと。
ただこれまで積み重ねてきた日々に対して、今しがたやってきた気まぐれが勝てるわけはないと思えば少しは孤独という番犬を飼いならせるのではないかとも考えられる。
夜中はそういう事がたまに頭の中に流れてくる。
長い人生でずっとついてくれるものはそうそうないものとして、面倒な客ではあるが付き合ってあげようではないか。
酔いが深くなり布団に入るその時間までは。