変わらず駄文。
まだ社会に出て間もない頃は、若さもあってゲーセンに入り浸っていた。 そこで産まれているコミュニティにあこがれとかを感じながら、粛々と遊んでいた。音ゲーって大体一人プレーだしね。
孤独というものに抵抗がない年頃にはこれが大層な問題で、隣で楽しそうに遊んでる人が目に留まるとどうにも落ち着かない。そうして事を急ぐと声がかかってついて行ったベローチェで宗教のご紹介を受けることになる。
そう考えると初めての地で会社とは違う場所で、できた友達が彼ら彼女らで本当に良かった。
毎日24時のゲーセンが閉店するまで遊んで、年齢がほどほど近くて同じゲームを遊べて、2年も持たずにバラバラになってしまったけど本当に最高の時間を過ごしたんだ。
今はどうしてるんだろうね、レッド君・めるちゃん・きりゅうさん・美咲さん・露子さん・他あれだけ楽しい時間を過ごしたのに名前が思い出せない様々な方。
久しぶりにmixi開いたら大体退会してたし、もう私はらいふぁと名乗っていない。
飴を与えてから鞭を打つ方が効果的なように、味をしめてから出てくる孤独には格別な味わいがあった。元に戻りたいがそうもいかないし、新しく作ってもこれじゃない理想に頭を抱えては去って、また孤独を味わい程よくメンタルを熟成させてきたりした。
しかもこの孤独の番犬が厄介な奴で、現れて来ると何とかしなきゃいけない感じになる。焦りは判断力を失い変な決断を下しては失敗して、さらにドツボに嵌る。そんな事を学んだ19~21歳だった。
そうやって傷心が癒える・・・いや風化するにつれて段々わかってくるのだ。相変わらず現れて来ては焦りをもたらすけど、程ほどに自己憐憫なりに浸ったりしておけば、案外何もしなくても平気だったりする。
そうやって過ごしていくうちに、孤独の番犬との向き合い方を覚えていくのだ。
似たような経験として幼い頃に高熱で寝込んだ時には、必ず迷路に迷う夢を見て、その夢が怖くて泣いてたりした。だけどある時、その迷路が毎回同じ迷路使いまわしな事に気づいて出口への出方を覚えてからは、別に怖くもなくなったというのがある。
歳をとってからは高熱で寝込む事もなく20年以上ご無沙汰だが、またその迷路を散策したいものだ。さすがにもうどんなマップだったか覚えてないが、多分気持ちよく散歩するだろう。身長制限があったら困るな。
オチが弱いってか、ないんだけど
孤独の番犬に怯えてる人がいたらそんなに怯えなくても大丈夫だと伝えたい。曇りないガラス玉のような心がそれを受け止めるのは大変だろうけど、摺りガラスになるまで向き合う必要もない