例年よりふぁぼ数が増えてきました。
毎年のように金言があふれ出てくる旧ついったーのなかで、選りすぐりのpostを集めてみました。
これは本当にそう思う。人生自体に価値がなくたって、その人生が生み出す時間に価値があって、どのように自分の人生に決着をつけるか、その基準を探すのはほかならぬ自分だったりする。 そういう意味で去年は捧げたいものが生まれて良かったのだ。
これくらいの気力で頑張りたい。転がってる確かな情報は無数の失敗パターンばかりで、これといった正解がないんだもん。
次に繋がるものは必要。そしてあともう一つは「今暇?なんかしようぜ」という二つが揃ったときに自由を感じるのだ
自分の中で決着をつけられる証が欲しい。すでに手に入れてるなら余命の中で証明できる何かが欲しい。
地方で手取り20万と光熱費や家賃で7万飛んで13万が手元に残るのと、都会で手取り30万の光熱費家賃で14万飛んで手元に16万残るのじゃ、後者の方が圧倒的に良いのは明白。ただし娯楽に飲まれて3万以上使ってしまう事も確かなので、これの正解はまだ見えていない。
2010年あたりの少しずつ変わりつつ、そして戻れないだろうあの時間が愛おしい。
色々夢見ては脱落していった人として救われた。確かなリターンが得られるかわからないなかで全力を尽くさないと敵わないなんてギャンブルに身を置ききれなかった。
炎天下は暑くて、気まぐれに腕に舌を乗せてみるとすごくしょっぱかった事を思い出します。だけど夜はすずしくて服にまとわるじっとりした汗すら乾いて不思議と清涼感のある夜が好きだった。
言霊は人生を変える力を持っているからちゃんと選ぶべきという、多分発言した人も忘れてしまったかもしれない金言を思い出したよ。ネガティブな事を口に出さないようにしなきゃ
誰かの幸せを自分のように祝える人はきっとうまくいく才能を持っているよ。
誰もが帰りたい場所を持っていると思っていて、だけどその場所って思い出の中だったりするのが何とも切ないんだ。あの頃の大分駅やおばあちゃんや、お袋の味にあいたい。
夕暮れの時にしか出会えない景色や、それに感応して空想の翼に乗るあの時間は贅沢なもので、その翼を降りるときのギャップを含めて夕方は面白い。
結婚してから何かやってみようと思う事のほとんどは、あの頃から取り返しのつかないチョイスばかりになってる気がする。虚しさほどダメージは受けてないんだけど、ただ一抹の寂しさというものに後ろ髪引かれる思いがある。
これは度々戒めとして思う事がある。ある程度生きた上で見え透いた茶番を目にすることで誤った承認を持つようになってしまう。そしてそれに飲み込まれてしまった人が今の50代とかなのかなって思いつつ、自分もその枠入っていたりしてね
愛しているとか好きだとか会いたいとかありふれた言葉が、ありふれているだけに受けやすいんだけど、そんな人はなりたくないという意思を感じる。偶然にも私もそうなんだ
毎朝訪れているのに見落としてしまうものだけに貴重
恋愛の中で勢いで結婚するのが多分正解なんだと思う。その場合は結婚の根拠が好きに起因するので、好きじゃなくなった瞬間に破綻の余地を含むと思っている。だから結婚の根拠はたぶんそれ以外いいんじゃないかなという人柱をしている。
これが答え。もっぱら酒で破滅していった家系のご意見に何の信ぴょう性もないけど、麻酔無くしてこの世は生きられないよ。
たらればに端を発する空想は楽しい。あの時もし選ばなかったどうなる。選びたい後悔をあえて避けてまで二番目に来る後悔を選んだらどうなったか。