BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

過去を語る人が描き出す景色は美しい

Youtubeで道化を演じる人にも、街中ですれ違う人も、
秋葉原の電気街口でブンチキブンチキ言ってる人にも、
満員電車の中でただ時間を待つ人にも、
等しく人生という物語を過ごしてきた事実があって
その物語は語り切れないほどのボリュームを持っている。
ただ街を歩くにしても、目に映る景色を圧倒的に超える物語がそこにあるんだ。

そして人生は時間の旅であり、過去の積み重ねの果てにある今だったりする。
過去が過去である以上、もう今にはないモノも数多くある。

もう今にはない景色を語る。
それを語る時、その過去に生きていたような語り口は、
それが本当に実在しているかのように、完璧に構成された世界を詠い
間違いなくその時の、その人生の主人公が
その人だったんだって疑う余地はなかったりする。

だけど私はそれを観測する術を持たない。
観測できる範囲は、自分だけ、そして覚えている範囲だけ。
自分が覚えている範囲だけだからこそ、
こういうところに怪文書として残しまくってるわけで
誰かに観測されていたら、そもそも・・・というものである。

 

過去とは今は失われた甘美な果実であり、
今は手が届かなくなってしまった、砂の山から砂金を見つけたような
話しを聞くのはとても楽しい。
しかも微妙に、自分の過去の人生にもリンクしているのだからさらに面白い。

 

そんなかつてあった世界と、そんなものはとうに失われた今という対比が
どこか回送電車を思わせる。
あれだけどこかの目的地を求め乗り合わせた人が居たはずなのに、
誰もいなく、そして目的地もない。

たまに後ろを見て回送電車を見送りつつ、
次の乗り換えを考えていくのだろう、夕べぼんやり思いながら
夢の中へと、いや普通に寝ただけだ。