BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

何かをやりたいという事

平均寿命はあくまで平均だし、平均なんて人は存在しない。あくまで作り出された統計上に概念にすぎない。そして私はアラサーで言えば既にアラウンドしていて、不摂生が祟ってエンドルートの未来が確定してるとするなら、人生的には既に折り返しに差し掛かってるわけだ。

ジャネーの法則からすれば、20歳で人生の半分は終わってるんだけど、仮に80歳まで生きたとしたら20歳で体感時間の6割が終わってると言われるほどなので、そろそろ7割くらいなのかなと。

 

昔の話になるけど子供の頃に社会見学というよりはもっと粗末な形で、老人ホームとかに行くみたいなイベントがあった。いわゆる老人と子供が1日触れ合うみたいなそんなやつ。

そこで会った老人は、子供があまり好きでなくぎこちない感じ触れ合いがあったんだけど、他の子はそれなりに充実していたらしく、いろんな昔話に花を咲かせたらしい。

とはいえ老人ホームと呼ぶくらいなので、そこに住む人たちは施設に入ってからお迎えが来るその日まで、およそ自由はなく・・・というより自由に何かをする事が困難だから、そこにいるわけで物語のエンディング前にクライマックスが必ずしもあるわけではないな、というのをその頃の私は感じていたりした。
アクション映画や必殺仕事人とかなら進行的に8割の所でクライマックスがあって、1割のクライマックスのあと、最後の9割から10割の所で締めを迎えるわけだけど、人生はそうでない。

クライマックスを迎えずに施設に入れば、そこが物語の何割であれ最後まで締めのフェーズなわけで、6割くらいから入ったらたまったものじゃないなと。

 

そう考えると、動けなくなる前にクライマックスを用意し、そのクライマックスを自らやる必要があると思うのだ。

やりたいと思っていた事をやらずに締めがやってきたら、きっと後悔するだろう。あれだけ時間があったのに、なぜしてこなかったのだと。

最近そういう焦燥感が頭をよぎる。

 

じゃあ、その何かをやればいいんだけど、その何かは何だろうと。

 

無邪気な子供ならパイロットになりたいとか、マリオになりたいとかそういうのがあるんだけど、残念ながら半分を過ぎている。その半分の中で観測したものは、夢が思っていたより魅力的でない事に気づく機会だったり、その夢を実現するための道のりが非常に困難で失う事や傷つく事を要求されそれが不安で諦めた事実であったり、実際にやってみたけど実を結ぶ事がなかったという記憶だったりするわけで、幾何の人はそれに打ちのめされた果ての今があるのではないかと思う。

 

さて何をやろう。

自分の頭が世界を認識できるうちに、自分に決着をつける事。

 

あぁ、バイクで世界一周、やってみたいな。

 

勇気か無謀か言えば、明らかに無謀なんだけど、なんかこれだけはやりたいなという気持ち。少なくとも施設に入る直前でやるのは無理だから、早い方がいいしなんなら今から支度を始めてもいいんじゃないかと思う。
その支度にはたくさんのお金や、海外という土地を過ごす経験値が必要なのですぐには叶わないしそれは仕方ないけど、諦めて施設で後悔したくはないよね。計画を立てたくなる。

 

そういう形で人生に決着をつけようと考えた時、私の人生に結婚と家を持つという道はなくなる。やるとしたら少なくとも決着をつけた後だ。

あとは周りに流されて伴侶を見つけに行こうとしたり、家賃というお金をドブに捨てる行為に嫌気が指して衝動的な事をしないように気を付けなきゃ。人ってあっさり流されちゃうし。

命そのものはどうでもよくて、命が続く間にある時間に価値があって、それを最効率でお金に変換していくのだ。20歳から先はお金に変換する効率を上げるためにやってきたと言っても過言じゃない。でもお金は手段に過ぎないので、付き合いはほどほどにしなきゃな、というのも思った、そんな天気の悪い秋の夜。

 

そこに夏の香りはもう残っていなかった。

あと何回、夏を過ごす事ができるだろうかと感じた、夏至に生まれた人の戯言がこれ。