BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

遅すぎた都落ち

しばらく間は空きましたが、この期間で神奈川から大分へと引っ越しました。
関東圏に行く事を上京と謂うなら、地方に戻るので都落ちといったところでしょう。

7月20日からの10日間は人生でも滅多にない、貴重な時間を過ごすことができました。
こんな体験、もう人生で二度とないだろう。

なぜなら今回の引っ越しは業者を使わずに、自分で軽バンを借り、自分で荷造りをして、荷物を積んで、自分でルートを考えて、自分で運転して、自分で荷下ろしをして、自分で車を返しに運転したからだ。

なんでも自分でやってみる。 やってみてそれの価値がわかる。そして都落ちにかかった費用は、業者を使うより高くついた。でも足が出た分以上の経験を得たので十分だ。

細かいのはここから先に書く

 

 

■7月20日

一言で言えば、荷造りをして車を借り荷物を積んだ日。
お目覚め一番にパソコンを解体した。なるべくギリギリまで触ってたいので、一番最後のほうになってしまう。
荷物がある程度まとまり、京急に乗って東神奈川で乗り換え、新横浜であすてりずむ君と落ち合い、やたら住宅地の奥にあるレンタカー屋に行った。
こんな日に引っ越しなんて死ぬぜって話しながらレンタカーを借りに行ったが、そのレンタカーがまぁ傷凹みがやたらある車両だった。200mくらい運転してあすてりずむ選手に交代、この車の癖について色々と教えてもらう。
そうこうしているうちに家に付き、いせった隊長と合流。初のオフが引っ越し手伝いて、そうないだろうw
やななんは部屋から2.5階まで荷物を、あすてりずむ君は2.5階から1階まで荷物を、いせった隊長は1階から車まで荷物を運ぶバケツリレー方式で20往復くらいしてぐったり。
15時スタート、17時半前に終わり、近所の焼き肉屋でとにかく高い肉をおごった。
隊長には荷物として詰めなかったコーヒーメーカーをあげた。

www.zojirushi.co.jp

あすてりずむ君からは、PC直してもらった時の借りはこれで返したと言った。むしろこっちが借りを作ってしまったかもしれないボリュームなのにw

 

■7月21日

一言で言えば、残りのごみを出し神奈川から三重県まで車を動かした日。
前夜、夜中に怪文章書いて2時前に寝て10時に起き、11時に出発した。名前を言ってはいけないあのイベントの影響で首都高横浜北線が大渋滞していたが、運転免許持って初ドライブの人にはちょうどいい速度だった。
15時に静岡県、18時に愛知県で食事と風呂と仮眠、23時に愛知を出発し24時に三重県で終了。仮眠した理由は単純に高速の深夜割引狙いである。

 

■7月22日

一言で言えば、大阪府の南港まで高速で車を移動し、フェリーの中で青年に会った日
神奈川→大阪の時間は何度もバイクで走ったので大体検討ついてて、その倍くらい見積り無事フェリーに間に合った。夕方からはフェリーに乗って翌朝の大分県入りを待つのみだった。
弾丸クルーズで予約すると65%オフで乗れる、ふざけた価格設定が面白く速攻だったね。

www.ferry-sunflower.co.jp


フェリーの中で青年と会い、電気工事士から足場やる仕事に転職した話を聞いていた。もっといろんな人間の物語を聞きたいと思った。それは不特定多数が目にできる方向性のない自分語りでなく、その時の自分にしか向けられない赤裸々な物語に価値はある。

 

■7月23日

一言で言えば、別府港から自宅に荷下ろししその日のうちに帰りのフェリーに乗った日
地元の腐れ縁に助けてもらい1時間そこらで終わり。
タダでやってもらうにはアレだけど、本人はいらないというので、出産祝いと称してゆっきー握らせた。そしてできるうちに荷解きをして復路のフェリーに乗る。
オリンピックの開会式っぽいが興味はない人たちがフェリーに乗っていた。同じく関心はなかった。

 

■7月24日

一言で言えば、大阪から静岡まで全部下道で車を動かした日
バイクで旅する毎に三重⇔大阪のいろんな道を通ってきたが、1号線を通しで走ったことがないな、と。ナビを使って1号線と2号線の交わる交差点からひたすら進み、過去に攻略を諦めた三重県四日市市もついに攻略した。
始めて長距離ツーリングした日に、事故を起こした場所があったからだ。
実に10年ぶりの攻略であった。前回は事故ってフロントフェンダーが欠けたのだ。

 


https://twitpic.com/4roze1
静岡まで行ったところで、とあさんと明日の予定を決めてネットカフェで寝るのであった。

 

■7月25日

一言で言えば、とあさんと遊び神奈川まで車を走らせた日
とあさんと9時に落ち合い、富士山近くの道路を走らせてからさわやか行くかーって思ったけど思いのほか予約の入る勢いが多く、さきにさわやか行く事にした。沼津学園前のさわやかで60分待ちの間、とあさんと冷房の効いた軽バンの中であれやこれやと話してた。
会計の時にうまくお金が準備できなかったので、今は持ってないバイクのための座布団をあげる事にした。そして1号線の小田原→横浜を攻略し、これで広義の1号線は全部攻略した。

 

■7月26日

一言で言えば、レンタカーを返し部屋の残置物を処分していた。
行きにはすごく狭かった住宅街も、帰りにはある程度乗れてレンタカーを返し
最後のシルクハットで弐寺をしてきた。粗大ごみだらけの部屋からごみを運び出してるうちに夜中になる。

 

■7月27日

一言で言えば、牛丼を食べて小田急乗って青春切符で旅を始めた。
朝シャワーを浴び、身体を拭いたバスタオルをゴミ袋に入れてゴミ捨て場に出した。
東京最後の食事は新宿のたつ屋にしようと決めてたので、牛丼を食べた。この味と別れる事は悲しかった。
駅近所のチケット屋で小田急株主優待券と青春切符3回分を買って最後の旅を始めた。
上京して初めて、住んだ街は町田市で通勤経路は小田急で、色々と思いを巡らせていた。
ここから始まったのなら、ここを通って終わらせようとか思って・・・

 

■7月28日

一言で言えば、大垣から周南まで行った。
初めて新快速を知った高校3年の頃の、あのわくわくの気分のまま、また新快速に乗れた。
上京して初の帰省の時の新快速とも変わらなかった。そして相生から先のしょっぱさも変わってなかった。
当時は虚無になるほど岡山→小倉間が耐え難かったんだけど、何度も下道を走ったり地理が頭にあるおかげで、その頃よりは楽しめた。
それでもまだしんどいんだけど、経験値が解消してくれると思いたい。

 

■7月29日

一言で言えば、お弁当を買いに行き夜に帰り着きました。
ふしぎちゃんが前日、寄るなら弁当渡しますよwってお言葉に甘え本当に凸しました。
途中下車して、次の電車が1時間後なのでそれまでに弁当を買いに行こうとしたら、ゲーセンがあって吸い込まれました。
その後、お弁当を無事に買いましたがステルスでした。
お仕事中に、おーーーーい!!っていうのもアレなのでこそっと買いに行っただけです。
九州入ってからは日豊線の接続の悪さを我慢しながら、20時過ぎごろに帰り着きました。

 

 

おわり。

これで関東やななん物語はおわり。

関東で過ごした時間は相応にあり思う所はたくさんあって、それだけでまた4,5個くらい怪文章は書けるけどそれは今度。

 

でもこの街が好きよ。育った街だから。

youtu.be

 

東京都に来てから帰るまでの15年間、ずっと大分県が好きだった事は違いなかった。
ただ遅すぎる帰還だった。