BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

旅先の表情

街には朝の顔と昼の顔と夜の顔がある。

それはそこに住んでいないと見ることができない。

 

 

この間、生まれて35年間ずっと死なずに生きてこれたことを祝うイベントがありました。すごく回りくどい言い方だけど、ノーミスでまだ継続してるゲームってそうそうない。 まぁ夭折も一つのロマンではあるが。

ただ生きるだけなら普通に働いていればどうにかなるけど、何かしら目的は持っていたくて、20代の頃「もし30歳で死ぬとするなら何をしたい」としたとき、小学生の頃に開いた社会の教科書にある日本の全部を見てみたいと思ってたことを思い出した。それは隠された心の声というか、漫然と続く日常の中で隠れてしまった漠然とした好奇心みたいなものだ。

 

そして私は好奇心の奴隷のようにいろいろ見てきた20代の人だった。手軽に行けそうなところは全部。
Googleマップで見るモニター越しの景色や、観光のパンフレットが配っている滅多にないような絶景ではなく、降りやまない雨の中でみるどうしようもない現実から見えるものを見てきた。決して紹介されないありのままのものを見た。 全部じゃないがそのすべては眩い。

 

だけど2020年の世界でいえば、旅なんてしなくても5chや二次裏やYahooコメントとかのインターネットで仕入れた情報をさも自分の知識のように適当言う方がコスパが良い。

それでもなお非効率な行為を愛せるのはそれが童心なのだからだろう。
今でも自分の足で見てきた景色を覚える頭に誇りを持っているよ。

 

 

 

何年か前、北海道を旅していた。

 

観光地を前菜やデザートのような食品に例えるなら、メインディッシュはおおむね食べつくした北海道だ。まだ箸をつけてない副菜や小鉢が目に入るそんな何周目かの北海道。

たまたま泊まったライダーハウスのオーナーに「おいしい焼肉なら、この焼肉屋に行け」と案内された。地元の人間の押しに外れはないだろうし、自分だったら存在する余地もない選択を用意してくれる人は貴重だから、迷わず行った。

 

その焼肉屋の店主は、小樽という町で60年ずっと生まれ育ち過ごした人だった。
今でこそ立派なアーケードだけど、あの頃は・・・。 この近所の銭湯は今じゃもうここしかないけど・・・私が小学生の頃は・・・と、その街の歴史を自分の人生に絡めて話していた。

 

その話は、どこか吟遊詩人のような物語のように思えた。
私が目にする、明日にはいなくなるこの街のシーンは、私には明日の朝までしか切り取れないけれど、彼らはそこに至るまでのすべてを見ているのだ。

 

あの日思い描いた未来や、今に移ろうこの場所も全て知っている。

 

・・・旅をせずにとどまる選択を選んだ人を初めて尊敬した夜だった。

私がいろんな街を知っている探検家であるなら

彼らはその街が過ごしてきた時代を知る、時の観測者なんだろうって。

 

その両輪が揃って物語は厚みを増していくだろう。