何かをやる前から不安に思う事ほどもったいない事はない。
旅だってそうだ。
バイクのエンジンをかける前から
どこまで行こう、どこで眠るんだろう、そして帰れるのだろうかと考えても答えはでない。
そしてその答えを出そうとする事はは、あてのない旅という素晴らしい物語を
台本に落として、考える事を放棄した人に宛がわれたパッケージツアーにしてしまう事になる。
想像して不安になるなら想像しなくていい。
やってみてから不安になる事が醍醐味なのだ。という事を忘れていた。
昨今のあれこれで、安定を求めたりしていて、未知の不安の想像ばかりをしていた。
これからどうしたくて、そのための道のりはなんなのだろうかと。
というか普通の人生は、むしろ不安にあふれている。
死ぬ事への不安なんて誰もが抱えていて、だからこそ宗教が生まれてきたわけで。
不安から目を逸らそうとすると、何かで頭を上書きする必要がある。
不安から目を逸らすために、習慣を作ろうとする。
だけど、習慣になってしまうとなかなか剥がせなくなる。
なぜなら人は本質的に、習慣と言う名の何かに溺れるようにできている。
それが酒だったり煙草だったり異性だったり、わかりやすいものもあるが
ランニングやサイクリングだってそうだ。
土砂降りの雨の中で走るのを辞められない人や、
動けなくなるまでペダルを漕ぐ人が
健康的かというと疑わしい所がある。
習慣を以て不安を解消しようとするのだ。
それが悪化すると妄想や捏造レベルでまで不安の種をほじくって探しちゃう。
無意識に不安が生きる糧にすらなっている人もいる。
できるなら始める前から不安がらない努力をしたい所だ。
今まさに目の前にある不安だけに目を向けて
それを一つずつ解消していく方が、物語じみてて良い。
そして人はそれを、計画性がない、という。
でも物語は結果的に生まれるもので、
プロットありきの物語は作者の想像の域を超えない