BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

過去の自分を救う

今日は随分いろんなところへ行った。
特に用もなく秋葉原に行って、
昔を思い出したくて大塚に行って、
昔を思い出したくて池袋に行って、
もっと昔を思い出したくて町田に行って帰ってきた。

未来の事なんて誰にも分らないけど、過去を変える事が出来ないのは周知の事実でできる事といえば、過去に起きたことの受け取り方を変えるか、望んだ未来を実現するために、今をどう動くかくらいだ。

 

 


古いオタクが敵視している秋葉原の客引きが減ったと聞いて野次馬根性を見せて、でもただじゃ転ばないりーみんの客引きみてはうんざりしつつも、久々の快走路を見ては心の中でスキップを踏んでハンバーガーを食べてきた。
buymoreは悲しいことに税別表記をするようになってしまったので、もうあそこで買い物をすることはないでしょう。いわゆるtukumoやdosparaと同じ烙印を押されてしまったのです。

そしてレジャラン2号店でゲーム遊んでたら気分が乗って、池袋のゲーセンに行こうなんて思った。1ゲームだけ十分な時もあれば気が乗る時もあって、今日はそんな日だった。

山手線でぐるっと回るうちに、10年以上前の自分がいた世界を見てみたくなった。上京して初めて勤めた会社は大塚にあって、おもむろに大塚駅に降りれば、そこにはATREができてて駅前の街並みだけががっつり変わっていた。あの頃先輩が飲んでいた、洒落たカフェのアイスティーを飲もうと思ったが店も場所も覚えてなかった。


まだブラック企業なんて言葉はおろか、社畜なんて言葉もなかった頃にそんな働き方を強いられて、しょぼくれて公園で99円チャーハン食べてた頃の公園を見に行ったりした。


確かに公園はそこにあって19歳の自分は滑り台の上に座っていた。
あの頃なんでこんな事をしてるんだろうって思ってただろうから、そっとその滑り台を見守って池袋に行った。

 

残念な社会人2年生が社会のレールから外れ、気ままに生きてた頃に歩いてた場所を歩いた。


街並みは随分変わってしまったけど、生涯で一番美味しいアイスコーヒーを出してる店は相変わらずだった。一杯790円もするアイスコーヒーだけど、ちゃんと豆を削りペーパードリップで熱湯をちゃんと注ぐ手間暇のかかった逸品だ。300円そこらで機械が出したコーヒーをカウンターに出すだけの喫茶店じゃない。


そしてそのアイスコーヒーは、一口目に最高の香りと苦さと後味の引きが絶妙で、あとは溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくあの頃と変わらない素晴らしいものだった。

 

かつての通勤経路だった町田→大塚を追体験したく、池袋から山手線に乗る。
電車に揺られながら、あの頃に思い出に耽たりなんてしていた。新宿駅に着いたらそのまま小田急線の乗り換え口に迷わず行った。南新宿からは電車は揺れたりせず、ロングレールが静かに草臥れたあの頃の私を運んでいた。違うところがあるとすれば下北沢はもう地上にないことくらいだ。

 

ふと高校生の頃、上京したが地元に戻った女性の先輩を思い出した。


上京して仕事を変え家を変え日常を変えていったが生活は変えられなかった。ただ生きてるだけだった。みたいな事をその頃聞いて日常と生活は同じだろう、何が違うのかと首をかしげていたけど、今となってはわかる気がした。理解するまで10年以上かかったけど。

 

そして町田駅に降りてかつての通勤経路を歩いていく・・・。
10年経ったなりの街の変化もあるけど、その頃よりずいぶん遠くに来たものだ。当時はデフレも極まっていて、ドン・キホーテで白いワイシャツが100円で売ってた。毎日使い捨てても1か月でちゃんとしたワイシャツ1着分より安いなんて世界だった。

 

19時ごろJR町田駅前の人だかりの中には、この時期にも関わらずこれからどこへ行こう、何して遊ぼうとエネルギーにあふれた5-6人の集団を見た。自分もその頃はそういう事に夢中で、目の前の集団とか昔の自分に似てるなあと考えていたら10歩先にいるその集団がすごく遠くの場所に思えたりした。

 

そんな事を思いながら横浜線に乗って帰っていた。

 

私は好奇心と過去の自分の奴隷だから、あの頃やりたかった事を叶えてあげたいし、あの頃うまくいかずに爪を噛んでた自分を助けたり肯定してあげたいと動く。

それといった才能もないが、ないなりに進んできた道は肯定したいし


あまり実りのない人生は時に否定したくなるけど、それでも忘れられない甘美な思い出もあるわけで、それ以降の特に記憶に残らない普通があるのはその頃頑張った自分が作った成果なのだろう。

2009年に地元に帰っていれば、まぁ変わっていたんだろうけど、2009年に戻ったところであの頃の最善の選択はもう一度東京でレールに乗る事だったのだから、やっぱりこの道しかなかったんだろう。

 

さて、そろそろVR機器の充電は終わったかな?