BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

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昨日は思い出をめぐる散歩をしてきた。
先週が町田で、昨日は西新井だ。

先週の町田が18歳から始める東京生活のスタートなら
今回の西新井はそこから3年経った21歳が社会に打ちのめされ
真っ当に腰を据えて働こうとしてもがいてた場所だ。

・・・語るほどのものはないので、久々の街の感覚を見て回りますか。

 

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駅は相変わらずのぼろい感じだったんだけど、前の時をもう覚えていなかった。
ただ駅の構造とかは変わっておらず、改札を抜けたら西口東口の分岐があるくらいだ。

東口にケンタとマックが昔からずっと残ってたみたいでよかった。
暇があればもう少し梅島の方にいって通ってたダーツバーとかどうかなと思ったけど、Googlemapですでに潰れてるのを確認したのでどうでもよくなった。

 

西口は以前よりマンションがたくさんあり、古い建物が徐々に追いやられているような感じだった。私が降り立ったころにはすでにアリオ西新井があって、そこそこ人の入りがあったんだけど、行ったタイミングが土曜という事もあり、物凄い混雑だった。1年前はもっと多かったのかなと思うくらい、人ビッシリ。

当時の私は赤貧に迫るほどお金がなく、アリオの中にある100円の6枚切り食パンを買って、マヨネーズ塗ってトーストで飢えをしのいでいた。
そんな印象的な事をしてたから、店に入ってヨーカドーの中の食パン売り場までの道をはっきり覚えていたんだけど、その道が今も変わってなくて安心したやら、もうそんなのやんねーよみたいな。

でも家賃が払えなくてお金借りて払って、そのお金の返済にまたお金を借りるみたいな最悪のループを20代の早いうちに経験出来て良かった。40歳になってやってたらもっと大きな金額になってただろう。

 

そして最後に見るべきはゲームセンターで、西新井には1か所パチ屋の上にゲーセンがある。
アドアーズラウンドワンみたいな大きな所資本ではなく、あくまでちっちゃなお店なので、もうないかもしれないと諦めもあったけど残っていてよかった。すごくよかった。

相変わらずぼろっちい店内で、かつては喫煙可能だったであろう煤けた壁が味わい深い。そこで数プレーほどして店を出たら、外は真っ暗だった。

時間や外の事を気にさせないような作りをするのは、パチ屋とかよくやる事ですね。
だから時計はほとんどないし、外もなるべく見えないようになってる。

 

そして今までやってきた選択は間違ってないとも思った。

最寄り駅に求める事はゲームセンターがあること。

Name Entry

ゲーセンとの馴れ初めのお話。

限界集落とまではいかずとも、町は発展する前に衰退を始めてるような自治体で育った私には、映画館やゲームセンター、ショッピングモールみたいな施設に触れる事はほとんどなく、日々の楽しみと言えば大きめの石をひっくり返してダンゴムシをつつく幼少期だった。

それからほどなくして自転車を手に入れては町の中を駆け巡り、おもちゃ屋レンタルビデオ屋のゲームコーナーに足を踏み入れる事になる。当時置いてあったゲームとしては、ストリートファイターKOFがメインだけど、マジカルドロップ2や雷電ファイターズ2とか格ゲー以外を嗜んでいた。

そしてハイスコアを出せばName Entryに名前を残す事ができた。
名前を残せる事。そこに自分が居た事。その実力の証明を残せることが刺激的だった。

 

そして高校生になる頃には、県庁所在地のある街まで出る事になるし、自分よりさらに上手い人が居れば切磋琢磨するような素敵な日々を送っていた。小さな町の中で一番上手かった人は大きな街の中でさらに成長するみたいな感じだ。

しかし無限に成長するかと言えばそんなことはなくて、あるレベルまでは一気に伸びるけど、そこから先の伸び幅は本当に小さく、周りの強者もそこに葛藤しながらそれでも高め合っていくような楽しい日々は続いたが、永遠には続かなかった。

 

ある者はその成長の遅さに挫折しゲームセンターから離れていき、
ある者はバイトが休めず仕方なくゲームセンターから離れていき、
ある者は就職を境に街を出る事でゲームセンターから離れていき、
ある者は他の楽しい趣味を見つけゲームセンターから離れていき、
ある者は家庭の事情で離れざる得なくしてゲームセンターから離れていった。

私もまたその一人であり、就職を境に街から出ていってしまった。

それでも出ていった先でやっぱりゲームはしていて、新たな刺激を受けては、名前を残したりして楽しんでいた。しかし街に出た頃程の成長はもう残ってなくて、挫折しそうな状態がずっと続いていた。

それでもゲーセン通いはやめられなかった。

成長が遅く挫折したとしてもそのゲームが好きだから、なんとしても続けたかった。

ここでいう成長とは単純にうまくなることであり、レースゲーならタイムをコンマ1秒でも削ろうとするし、シューティングなら、より残機を残してクリアする事だし、音ゲーならより完璧な演奏をする事だ。

そして成長はほどほどに、名前を残していくというやり方にシフトしていったのが、この数年のゲーセンとの付き合い方になった。

ランキングシステムがあって、頂点は無理でも名前を残せるだけの実力がある事がわかったら、もう味を占めたようなもので、狂ったように店内ランキングや公式ランキングに挑むようになった。

最近頑張ったやつだと98位に入ったやつがある。
https://p.eagate.573.jp/game/2dx/27/ranking/weekly.html?class_id=2

 

一番にならなくてもいいし、リザルトの写真でスマートフォンの中身を埋めなくてもいいし、Twitterにアップロードする必要もない。そこに自分の名前が存在し、その時の実力を以てその順位にいる証明があれば、それでいい。

中二病っぽく言えば存在証明と書いてレゾンデートルと読む。

 

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県庁所在地のある街でさえ、私が降り立つ頃には成熟を終え切っていたんだなというのを最近気づいた。こんな発展した街知らないぞ?


大分(その1)

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日付が変わったらまた何か書くので、適当です。

働き始めるようになってから、休日を意識するようになった。

 

そりゃそうだ。半年も無職やって100連休とかしてると、もはや休日の方が平日なまである。起きた時間に起きて、何かをやって眠くなったり、頃合い的に寝なきゃなってタイミングで寝る、そこだけでも実に素晴らしいものなんだが。

でもそれ以上に良いのは、その日をいくらでもアレンジできること。

1日を自由にできる良さ。部屋を片付けても、バイクでどこか走り出しても、普段行かない街に行ってみるのも、何もせずに寝るのも、ずっとほったらかしのHDDの中身整理するのも、たまったアニメ見るのも、どんなアレンジだってできる。

 

だけどそれをやってこなかった。

緊急事態なんちゃらとかあって制限はあったけど、それ以上にほとんど何もしていなかった。

 

答えは簡単で、自由を手に入れると何もできなくなるからだ。

まっさらな原稿用紙になんでもいいから何か書いてよって言われてスラスラ書き始められる人はどれくらいいるだろう。

白紙と色鉛筆が目の前にあって、何か描いてと言われて何かを描ける人はどうだろう。

こういうのを考えた時、私は何をアウトプットしようか、かなり時間をかけてしまう。なんでもいいが故に何をすればいいか検討できないのだ。白紙がマス目の入ったノートの切れ端ならドット絵や幾何学模様とか考え付くのにね。つまりある程度縛られてないと自由に動けない。

これは休日にも当てはまる。なんでもできるが故に何もできなくなる。
今日は何でもできるが何しよう、とTwitterを見ているうちに、Youtubeを見ているうちに気づけば夕方になる。 どうせ明日も休日なんだから夜から遊びに出かけたっていいはずなのに、やっぱり何もしないまま一日が終わるし、なんなら何もしなかったという事すら意識していないまま終わっていたりする。100連休もあれば。

 

だから、今のしんどい5日の後の2日は、何かしようと考えるようになった。

たまに何もしないまま終わる事もあるんだけど、しんどさが増えれば増えるほど休日の価値が上がっていく。あとは休日にエネルギーを爆発できるかどうかそれだけ。

前に進むために後ろを振り向く事

辛い思い出なんてすぐに忘れていくじゃないですか。
いやそんな事ないんだけど。
でもそんな事を覚えていられないほど、世の中は辛い事で満ちているからさぁ。
古いのから順に忘れて行って、そして甘美な懐古が残っていくのよね

・・・

ここまで書いたところで、すっごいメンタルぶっ壊してません?って
気になった人、大丈夫です。気分が沈んでる時に書いた文章を引っ張り出しただけで
いたっていつも通りです。

今日のテーマの文章を書くにあたって、書き出しに何かないかなーと思って
一番近くでマッチしたのがこの文章ってだけです。

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日記

今を生きるという事をよく忘れる。
懐かしい話や、ふと過去を思い出したりした時にそれが顕著に現れる。
夕べ思い出話に華が咲いたし。

そしてぼんやり記憶に思いを馳せると、どこかに行ってしまう。
でも昨日はここにはなくて、必要な事は今を生きる事。
そう思った時にふと昔住んでたところに行く。
古い写真の中には入れないという事を確認するための儀式みたいなものだ。

そして町田に行ってきた。
上京して初めて実家に帰って、そして東京に戻る時に降り立った町田駅の道をトレースして
微妙に場所が変わったセブンを見て、昔美容院だった今はスーパーの建物を見た。
それ以外にも色々と変わっていて、ボロボロのダイエーだった場所は新しくなって
あの日からなくなったキャッツアイ町田の面影を見ながら、
変わっていった街並みを眺めていた。

そこには甘美な思い出がたくさんあったなと実感した。


そして小田急に乗って登戸に行った。
4年前まで住んでいて、そこまで懐かしさとか感じなかったけど
北口はがっつり再開発が進んでいて、自分が居た面影はとうに失われていた。

確かここにこんなのあったような・・・
早くも商業ビル立ってるなーと思った、昔そこにあったパチ屋だったりして
まぁ色々変わってゆくものだなーとぼんやりと電車に乗って帰った。

そんなあの日から時間が経って、思い出を共有する事も減ったそんな日を過ごして、ね。

過去を語る人が描き出す景色は美しい

Youtubeで道化を演じる人にも、街中ですれ違う人も、
秋葉原の電気街口でブンチキブンチキ言ってる人にも、
満員電車の中でただ時間を待つ人にも、
等しく人生という物語を過ごしてきた事実があって
その物語は語り切れないほどのボリュームを持っている。
ただ街を歩くにしても、目に映る景色を圧倒的に超える物語がそこにあるんだ。

そして人生は時間の旅であり、過去の積み重ねの果てにある今だったりする。
過去が過去である以上、もう今にはないモノも数多くある。

もう今にはない景色を語る。
それを語る時、その過去に生きていたような語り口は、
それが本当に実在しているかのように、完璧に構成された世界を詠い
間違いなくその時の、その人生の主人公が
その人だったんだって疑う余地はなかったりする。

だけど私はそれを観測する術を持たない。
観測できる範囲は、自分だけ、そして覚えている範囲だけ。
自分が覚えている範囲だけだからこそ、
こういうところに怪文書として残しまくってるわけで
誰かに観測されていたら、そもそも・・・というものである。

 

過去とは今は失われた甘美な果実であり、
今は手が届かなくなってしまった、砂の山から砂金を見つけたような
話しを聞くのはとても楽しい。
しかも微妙に、自分の過去の人生にもリンクしているのだからさらに面白い。

 

そんなかつてあった世界と、そんなものはとうに失われた今という対比が
どこか回送電車を思わせる。
あれだけどこかの目的地を求め乗り合わせた人が居たはずなのに、
誰もいなく、そして目的地もない。

たまに後ろを見て回送電車を見送りつつ、
次の乗り換えを考えていくのだろう、夕べぼんやり思いながら
夢の中へと、いや普通に寝ただけだ。

何かをやりたいという事

平均寿命はあくまで平均だし、平均なんて人は存在しない。あくまで作り出された統計上に概念にすぎない。そして私はアラサーで言えば既にアラウンドしていて、不摂生が祟ってエンドルートの未来が確定してるとするなら、人生的には既に折り返しに差し掛かってるわけだ。

ジャネーの法則からすれば、20歳で人生の半分は終わってるんだけど、仮に80歳まで生きたとしたら20歳で体感時間の6割が終わってると言われるほどなので、そろそろ7割くらいなのかなと。

 

昔の話になるけど子供の頃に社会見学というよりはもっと粗末な形で、老人ホームとかに行くみたいなイベントがあった。いわゆる老人と子供が1日触れ合うみたいなそんなやつ。

そこで会った老人は、子供があまり好きでなくぎこちない感じ触れ合いがあったんだけど、他の子はそれなりに充実していたらしく、いろんな昔話に花を咲かせたらしい。

とはいえ老人ホームと呼ぶくらいなので、そこに住む人たちは施設に入ってからお迎えが来るその日まで、およそ自由はなく・・・というより自由に何かをする事が困難だから、そこにいるわけで物語のエンディング前にクライマックスが必ずしもあるわけではないな、というのをその頃の私は感じていたりした。
アクション映画や必殺仕事人とかなら進行的に8割の所でクライマックスがあって、1割のクライマックスのあと、最後の9割から10割の所で締めを迎えるわけだけど、人生はそうでない。

クライマックスを迎えずに施設に入れば、そこが物語の何割であれ最後まで締めのフェーズなわけで、6割くらいから入ったらたまったものじゃないなと。

 

そう考えると、動けなくなる前にクライマックスを用意し、そのクライマックスを自らやる必要があると思うのだ。

やりたいと思っていた事をやらずに締めがやってきたら、きっと後悔するだろう。あれだけ時間があったのに、なぜしてこなかったのだと。

最近そういう焦燥感が頭をよぎる。

 

じゃあ、その何かをやればいいんだけど、その何かは何だろうと。

 

無邪気な子供ならパイロットになりたいとか、マリオになりたいとかそういうのがあるんだけど、残念ながら半分を過ぎている。その半分の中で観測したものは、夢が思っていたより魅力的でない事に気づく機会だったり、その夢を実現するための道のりが非常に困難で失う事や傷つく事を要求されそれが不安で諦めた事実であったり、実際にやってみたけど実を結ぶ事がなかったという記憶だったりするわけで、幾何の人はそれに打ちのめされた果ての今があるのではないかと思う。

 

さて何をやろう。

自分の頭が世界を認識できるうちに、自分に決着をつける事。

 

あぁ、バイクで世界一周、やってみたいな。

 

勇気か無謀か言えば、明らかに無謀なんだけど、なんかこれだけはやりたいなという気持ち。少なくとも施設に入る直前でやるのは無理だから、早い方がいいしなんなら今から支度を始めてもいいんじゃないかと思う。
その支度にはたくさんのお金や、海外という土地を過ごす経験値が必要なのですぐには叶わないしそれは仕方ないけど、諦めて施設で後悔したくはないよね。計画を立てたくなる。

 

そういう形で人生に決着をつけようと考えた時、私の人生に結婚と家を持つという道はなくなる。やるとしたら少なくとも決着をつけた後だ。

あとは周りに流されて伴侶を見つけに行こうとしたり、家賃というお金をドブに捨てる行為に嫌気が指して衝動的な事をしないように気を付けなきゃ。人ってあっさり流されちゃうし。

命そのものはどうでもよくて、命が続く間にある時間に価値があって、それを最効率でお金に変換していくのだ。20歳から先はお金に変換する効率を上げるためにやってきたと言っても過言じゃない。でもお金は手段に過ぎないので、付き合いはほどほどにしなきゃな、というのも思った、そんな天気の悪い秋の夜。

 

そこに夏の香りはもう残っていなかった。

あと何回、夏を過ごす事ができるだろうかと感じた、夏至に生まれた人の戯言がこれ。

 

VRChatでイベントをするという事

初めて仮想世界でイベントの主催をやりました。
イベントとも主催ともいうには、まだまだ見直したりしなきゃいけない所は多々あるんですが。

リアルでイベントをやる時って2パターンあります。私は大体どっちかです。

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