BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

何がわからないのかわからないはどうしようもない

未だに会社の事はよくわかってません。

このわからないというのが、不安の種になる人もいれば、オラわくわくすっぞになる人もいるんだけど私は前者なので、割とずっとよくわからないもやもやとしたものを抱えています。

とにかく情報を共有するアイテムがない。基本設計書もなければWBSもないわけで、焦るべきなのか手を抜くべきなのかその辺がまったくわからない。IT屋さんなんだけどな。

仕事がたくさんあって、それを終えるために必要なものがはっきりしてる時の忙しさは心地よいんだけど、周りは夜目が効く状態の暗闇を歩くのは結構しんどい。

一週間に一度、上の人と30分お話する機会があるけど、なんやかんやで言いくるめられたりするので、来週は強く出ようと考えているところです。

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とまぁ、そんな感じの文章を書いてもつまらないので、
いつも通りの怪文章と行きましょう。

 

古今東西だいたいの人が一度は口にしたことがあるであろう
昔は良かったというフレーズ。

私もそれをよく思う事が多く暇になったりすると、ふいに高校生でゲーセン通い詰めだった頃の事を思い出す。夜通しゲームして友達と話してという飛びっきりの時間だった。

社会に出て適当なバイトや派遣をしてた頃もそこそこ適当やって、夜から友達と遊びにでかけたりなんてのも楽しかった。

 

それからいくつか会社や現場を巡り今の会社に私はいるわけで、そのいろんな所はどれもがあんまりいい思い出ではないが、いい思い出ではないなりにそこそこ記憶改変され美化されている。

 

思うに現場や会社が変わるイベントは、それまで当たり前だった世界が崩壊した時に、かつてあったけど今は失われた「幸せな日常」という実際はありもしないのに存在するものとして作ろうとする脳の構造みたいなのがあると思う。

もちろん今の自分の意識にとっては、そうやって作られた「幸せな日常」がイベントを通して喪失したと認識する。

従って「幸せな日常」は常に過去にしか存在しない。

結果的に日常はメビウスの輪のようにいびつで閉じた構造をしていて、日常の持ち主がその幸福を手にする事は決してない。

 

ちなみに誤解を招くとあれなので補足するけど、ついったーでのやり取りや、今夜も会う電脳世界の友達や、週末雑に飲んだりする友達と過ごした時間は「幸せな一日」であり、ここで触れられてる「幸せな日常」とはまた違うものだと書いておきます。

 

それはそれ。

 

幸せな一日とは、ボケればきちんと突っ込んでもらえるような気心の知れた世界で一日を過ごす事である。

 

そういう楽しい思い出はたくさんついったーに書いておこう。
ログは多ければ多いほどいいし、フィルタリングはそれぞれがやってくれる。