都落ちに至るすべて。
昨夜、discordでほむすきくん、まひろちゃん、せゆりいくんと選択の下し方について話をしてた。
選んだすべては元々運命的に選ぶものだったと解釈する人も、
常に最善の選択になるように選んでいると解釈する人もいる。
私は後者寄りの解釈だけど、その選択に大局観はなかった。
将来的にどうしたいか、ではなくその場その場の感情で選んできた。
結果的に選択直後は満足し、近未来で後悔し、遠未来で振り返って納得する人生だ。
だって授かった命くらいは贅沢に使いたいじゃないですか。
お金や時間はその手段に過ぎなくて、どんな贅沢が欲しいか考えたときに、幸せに思える道を歩くことだと思ってて、幸せは論理でなく感情が持つものだから感情で選ぶのが当然と思ってたりする。
序文に書いた至る全てを書き出すと色々あるけど、大きく3つしかない。
そしてその2つは感情で、後の1つは論理から成り立った。
元々いつかは帰ろうと思ってたけどね。
1つ目はここに住んでいても、先がないと思った。
流行りのウイルシがどうとかではなく、この街で自分が何をしていきたいかの先がない。
上京して数年だと目に映るものが眩しく、そして年齢的に叶えられそうに思えた。
夢を見る事に関しては優しい街だった。叶える事は難しいんだけど。
いや信じ方が甘かったと言うべきか。
何年も日々を刻んでいくと、やりたい夢とできる事の区別がつくようになってほどほどの生活になっていく。
ほどほどの生活で、できる仕事で平均より少し上のお金を手にして好きなことをして、働いている事を除けば遊んで暮らしている感じだ。
そして概ね遊び終わった。
ノーリスクで出来る遊びは大体やった。消費社会におすすめされた安全で楽しい遊び。
リスクはあるが出来る遊びも大体やった。先駆者がいて再現可能なマニアックな遊び。
マニアックな遊びに手を差し伸べたりもした。握る握らないは自由だけどいろんな人が握ってくれた。
今の言葉で言うなら、沼に落とす。という言葉になるかな。
その思い出があれば十分だ。
2つ目は親愛なる祖母と自分のためだ。
祖母ちゃん子なので、帰省すると必ず会いに行くし、可愛がられたのでそれくらいには好きだ。
崇拝対象と言っても過言ではない。
だけど去年は帰省できなかった。流行りのあいつのせいだ。
今年の帰省は2年ぶりで色々な話の中で、そろそろボケてきていると聞いて今すぐ帰るべきだと思った。
前に日記で書いたけど、余命が20年あったとして毎年帰省して1日会ったとして、もう20日くらいしか会えないわけで、それなら絶対戻った方がいいと思った。
毎月会いに行けばあと240日は会えるから。
残りの時間を幸せに過ごしてほしいし、その幸せな時間の中に私がいるのなら、なるべく傍にいたい。
3つ目は人生に決着をつけるためだ。
やんわり口にしているバイクで世界一周を叶えたい。
それを始めようとすると、今持っているものを手放すかどこかにおいておく必要がある。
大体のモノは捨てられるけど、絶対捨てられないものがある。
捨てられないものをローコストで置く場所が必要だ。
コンテナ借りるより実家だろう。
やりたい事を始めやすい環境に身を置けば、夢は道筋になる。
なんとなくこうすればいけるかなという憶測から、これをここに置き、これを運び、これを準備してと具体的になる。
捨てられないものをローコストでおけるだけでとても強い。
旅を始めるとなれば借りてる家を手放して、住民票もどっかに移すとかになる。
自分で借りる必要がない状態が望ましい。手続きは思った以上に時間がかかるから。
時間がかける呪いはとても強い。
時間がかかるほどやりたい事とできる事の区別がついてくるから。
やりたい事をやれそうと思えるうちにやろろうと。
これだけ理由があれば十分だろう。
この選択肢があっているかって、今決められるものではないと思う。
今決まらないから、今でも考えちゃうんだけど、正解かどうかはわからない。
これは何年か経って、この選択肢が合ってたと思えるように過ごすしかないだろう。
この選択によって幸せになれるかどうかは関係ない。
この後の事が大事。と肝に銘じておこう。