BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

極彩色の夢を見る

地元に帰ると決意してから、黙々と断捨離的な事をしている。

関東に来てからは何度か引っ越していて、そのたびに持って行ったものと捨てていったものがあるんだけど、今日の今まで持っていたものというのは、大体特別なものだったり必需品だったりとかする。 世代管理みたいなことをしていて、引っ越した先々で手にして人生を豊かにしたタイミングであったり、細かなターニングポイントだったりして、現時点ではその時住んでいた家の場所に応じて扱われている。

1代目:町田市(13ヵ月)
2代目:富士見台(9か月)
3代目:池袋(6か月)
4代目:西新井(9か月)
5代目:荻窪(2年弱)
6代目:登戸(6年)
7代目:川崎(5年)

・・・ということは今は7代目で川崎市に住んでいて、ここで買ったものは7代目になったりする。

一行目に戻ると、一度に持っていける荷物には限りがあるから断捨離をしていて、何をどんな基準で手放すかというものを考える事が多い。
比較的若い世代になるほど、極彩色の夢を見てそれに近づくためのアイテムが多いし、直近の世代ほど現実の実情に則ったアイテムであることが多い。当然ながら後者のほうが需要は高いし、夢見たアイテムは大体お荷物になりがちだ。

ここ5年くらいで買った最近のアイテムは明確な目的が思い出せるけど、5代目さえもはや8-9年前でかなり朧気な記憶を頼りにするしかない。そもそもその頃のTwitterにMy new gear...とか言ってアップロードしてないし。結局のところ評価としては2軸で評価するしかない。

・実用的で実用しているか

・そのアイテムに思い入れがあるか

実用的でかつ思い入れがあるなら、それは持ち帰るで間違いない。
実用的でないし、思い入れもないなら、それは捨てていこう
実用的だが思い入れのないものは迷う
実用的でないが、思い入れのあるものは特に迷う。

なるべくならすべてを持ち帰りたい気分だが、相応のコストがかかる。相応のコストを払ってでも持ち帰るだけの価値があるんだが、それは今の生活の延長線に過ぎない。

 

何かをするには目的があって、目的を達成するためには手段がある。誰かに協力を願いたいなら説明をして、理解と承認を得なければならないっていうのと同じような感じで。

さて、自分はなぜ関東に出てきたのだろう。出てきた時の目的は『なんとなく』でしかなかったけど今になれば『極彩色の夢を見る』為だったのかと思う。過去を変えることはできなくても捉え方を変えることはできるし、今捉えてる考え方は実にマッチしている。地元にいた頃には考えられない数多くの極彩色の世界を歩いてきた。もしかしたら今も歩いているのかもしれない。

ただ今の現実に捉えている世界は、色彩のない夢が続き今日も同じ夜明けを待つような日々が続いていて、そろそろどうにかしたいなという、ふわっとしているが動機としては十分なモノがそろっている。 刺激が欲しいだけなら単純に8代目を始め仕事を変えれば済みそうなんだけど、どうにもこの世界に飽きているらしい。

引っ越し貧乏だった頃のほうが刺激的だったなとは思うんだけど。刺激は無知からくるものだから。あぁ。

だから動くんだけど、動いた先に極彩色の夢があるかと言われると微妙で、そこは地に足の着いた確からしい清潔な生活があると思いたい。その中でいろんな思いを醸造して、溜まりに溜まったものが弾けるのを待つような感じの生活をしてね。

その準備だけしておけば、いつの間にかその時が来る。