11月1日入社です。入社時の全社員の前でやった挨拶は
「製造業という業界も、この街で生計を立て暮らしていく事も初めてで不安はありますが、皆さんと一緒にお仕事ができる事を嬉しく思います」でした。
何かをやり遂げたいと思う心はどこかに隠しつつ、ひとまずは来る日を待つための日々の歯車がようやく回り始めた。快適に過ごす部屋を持つことと、それを維持するための身銭を稼ぐこと。
ようやく就職をして1日目を終えた。
感想だけで言えば「つまらないが、まぁそれでいい」だ。
何かと比べたり夢を見たりする事には飽きた。
田舎の中小企業という事もあり、これまで過ごしてきた
大都会の大企業とは計り知れない程ギャップがあり、判断に迷う場面が多々あった。
だけど当人にとってはそれが普通というか、それがこの場所のこの世界でできる事の全てのような、出来るならこうしたいが現実的にそれを成し遂げるリソースもリテラシーも足りない状態を見た。
・・・あんまり書くと、ある時バレたときにまずいので。
簡単に言えばその世界においてGithubはおろかSubversionも使われてないしActiveDirectoryすらない。私が生業としていたレベルの文明に到達しておらず、そういう意味で私の価値はまだ発揮できそうにない。いうなれば20人くらいで始めた会社がそのまま100人超えて、創業50年を超えたようなものだ。
支給されたパソコンにパスワードがかけられてない。
なぜならパスワードは忘れてしまう事が前提で、忘れても業務に支障をきたさない事が設計なので、他人のパソコンを利用して何かしでかしたとしても、そんなことをした人が悪い。だけど、いまだにそんなインシデントは一度も起きてないという世界だ。
前提条件がそもそも違うのでアーキテクチャも設計も当然変わり、その数十年の社風にあったアーキテクチャなのだろう。
当然、そんな非常識な設計を見過ごすことはできないが、インシデントが起きてない。つまり問題が起きてないという事は、解決するものがそもそもないのだ。
まだここには鍵というものが発明されてないらしい。牧歌的ではるが。人類は鍵のない世界で生きていられたはずなのに、なぜ鍵を発明したんだろうね。
だけどまぁ面白くはある。異世界転生したくらいの気分だ。
窓はあっても開けられない都会の喧騒の代わりに、窓を開ければ草刈り機の音がして、空を切り裂くビル群の代わりに、奥行きのある山々が連なっている。
空と地面だけがある。地に足のついた人生だ。
だけど、刺激は確かに失った。
昼食を開拓する楽しみ
知らないビルの中を探検する楽しさは確かにあった。
帰りの電車を途中下車したその街で新しい発見をする楽しみ
隣のビルという、おそらく永久に合うはずない人の人生を想像する楽しみ
空間的密度が織りなす、ずっと続く総集編は確かに刺激的だったし、それはここにない。
得るものもあった。
心理的距離感の近さ、学校生活のような集団行動的な感じはノスタルジーを刺激する。
380円の弁当食べたら畳で横になって、コンクリにペンキ塗っただけのような古い価値観のまま建てられた社屋を歩く。
そこに見栄が介在する余地はない。
桧の柄のシールを壁に貼り贅を凝らした見栄えにする必要もないし、窓から高みを見下ろす必要もない。ここは見上げても空しかないからだ。
目まぐるしく変化が起きないゆえに、ずっと空を眺めていられる。
いちいち目に留まる夕暮れにスマートフォンのカメラを向けずにはいられない。
コンデジを買ったばかりの頃に夕空の写真ばかり撮ってた頃のような感性がよみがえってきた。
電線に止まる雀を数えていられる。危機感を煽る救急車の音はめったにない。
退屈である事に変わりはないが、忙しさを知ってこその退屈の価値を知れた。
でも欲しいのは忙しさでも退屈でもなく危機感である。
何をしたいのか、したい事をするプロセスは何か、そのための障壁は・・・など向き合うものに目を向けなければ。