今日の日記は思い切り自分語りです。
もうずいぶん前からですが自分語りという言葉自体が、
どこか卑俗の承認欲求みたいな揶揄されるイメージで
ポジティブなニュアンスを持たなくなってる気がします。
でも自身が持ち合わせる事って、それそのものが真似できないものなので
個人的にはもっといろんな人の自分語りが見たいものです。
「俺が怖いのは、ただお前らが人間だってことさ」って歌詞を理解し
それでも、その俺と関係を持つ人の、
その人だけが持ちうるストーリーは知りたい欲求です。
ってことで、そこそこ意味を持ってるタイトルの日記です。
乱数みたいなタイトルにも意味は入れてますが、
それは私だけがわかればいいみたいなものなのでご愛嬌ということで。
アンカリングって特定の感情や記憶を引き出す鍵みたいなものです。
成人になるまでの若年層の頃は図らずもこれが為されていました。
教育というカリキュラムがそれです。
13歳であれば中学1~2年であり入学の記憶があり
14歳なら中学2~3年の出来事に繋がっていて・・・
16歳なら高校1~2年なので入学という記憶はないはず。なぜなら入学は15歳からだから。(早生まれはしらないよ?)
そんな感じで年齢を鍵に、その時の記憶や感情が引き出される仕組みがありました。
んまー他にも誰かと交際したとか、転職したとかも鍵ではありますが。
なぜこんなことを書いてるかと言うと、
社会に出ると、年齢を鍵にしたアンカリングがされてない事に気付きました。
私においていえば22~28歳に体験した事について、
年齢を鍵にしても体験や記憶がないのです。
ついろぐ見ればわかるっちゃわかるんですが。
19歳と言えば社会に出て1年目で、9-24時なハードワークの記憶で
20歳と言えば仕事をやめてふらついて可能性を模索し
21歳と言えば結局また仕事について・・・
22歳と言えば・・・その仕事ついて2年目ってなにしたっけ
23歳と言えば・・・何があったっけ
24歳と言えば・・・どこかで何かをしたはずなんだけど
25歳と言えば・・・どんなことを楽しみ、どこへ行ったのかあれ・・・みたいな感じ続き
28歳と言えば・・・明確な記憶は転職をしてぐんにょりして
色々あって今に至るみたいな。
学年と年齢がリンクしてるから覚えやすかった頃と、
それを過ぎてからの無制限一本勝負の顛末があいまいな今と・・・。
でも毎年転職してたらそれもそれで地に足つかない生活になるし
毎年違う事を始めても、結局中途半端になりそうだし
その辺の塩梅は難しいよね。
年単位でアンカリングする必要ってあるの?っていうのは尤もだけど
やっぱりどこかしっくりこない。だって人生の序盤が年齢単位なんだもん。
今日はそういう事をぼんやり考えながら仕事をして
辿った結論は、その年齢の時ならではの
ユニークな感情や記憶を引き出せるような事をやってみようかって。
今あるものと適度に向き合い、新しい物にも手を出してみたりして。
新卒研修とかでこういうの触れてほしかったなあ。
ありとあらゆるモノに無数の失敗パターンがあるとはいえ
振り返った時に後悔しない生き方のエグザンプルが欲しかった
・・・電話の取次ぎや議事録はググれば出るから後々でもいいのに。