酔っ払いが書き残すスーパー駄文でお届けします。
最近出かける場所は、どこか走馬灯のような振り返りのためのお出かけになっています。もう二度とこないわけでもないけど、あの頃と今を結ぶ記憶と気持ちの整理のために。
特に若かったころ、18歳から21歳までの間の記憶というのは、計り知れない力を持っていて。それは背中を押してくれたり、はたまた身動きを塞ぐ足枷になりえたりするのですが、ちょうどハーフアンドハーフくらいで過ごしてきました。
あの頃の自分が行けたのだから、これも行けるだろうという背中の押し方。
あの頃の刺激的な日々を見失った、消化試合のような日々という足枷。
この5年はそんな気分に翻弄される事が多かった。
年齢もだけど、歳をとるごとに扱うものが重くなってしまい、身軽に行動できなくなってきている感じはする。それは扱う仕事の重さだったり、立場であったり、貰えるお金や今ある生活基盤とか。 幸い背負うものに関しては世帯を持ってないのでまだ身軽ではあるはずなんだ。
だけど、こんなにもプライドというのは重いのかというのを思い知らされる。
選挙権もない頃に、政治家が講釈垂れる見え見えの醜いプライドを笑っていたんだけど、あれこそが社会で生きていくための、自分を信用してくれる人のための、自分が生きていくためのモノだったのだと、その頃には気づけなかったよね。
その時にならないとわからない事はある。MixiやTwitterの登場により、幾分か人生のネタバレを見る機会があっても、直面するまで信じられない事は山ほどありふれている事に気づくための時間だったのかもしれない。
無駄にプライドだけがある今の姿を見て、10年前の自分は失望するかもしれない。
だけど今の自分が10年後の自分を見て失望したとしても、それを許せる人になりたいと思う限りである。
ただ、あの頃の仕事に飲み込まれ終電の満員電車でしょぼくれて帰る自分を慰められるのは、それが報われた今の自分しかいない。
なんとなくの軽はずみで選んだ選択を酷く後悔していた君の足跡の先にいる私は、概ね満足のいく道のりであったと肯定するよ。