BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

SocialDiving

共感を求めるのは人だけが持ってるものか
それとも動物共通なのか、いやはや生きとし生ける生物すべてなのか。

 

今日のタイトルはソーシャルダイビングです。

 

その昔って言っても7-8年前くらいに
どこかで目にしたことがある覚えがあったんです。

ソーシャルダイビングとは、
他人と初めてのコミュニケーションを取る時、
飛び降りるような勇気を要する事。

みたいな意味だったと思う。

 

調べたら普通にスキューバダイビングしかヒットしないわけですが。
こんな優れたフレーズ思いつくわけがないので
きっとどこかで提唱されたはずだと思うんですが・・・。

 

 

その当時の自分にとっても、この言葉はすごく腹落ちする
よくできた言葉だなーと思う限りで
そもそも知らない人に声をかけるというのはすごい勇気いるよなーって。

 

これが旅としてのツーリングの、その先で出会う人であれば
どうせ一度きりだし、もう多分会わないしっていう保険があるのか
低いハードルでコンタクトできちゃうわけですが、
まぁ実社会、いつもがいつも旅なんてそうもいかないよね。

 

旅先で言えば
ヘッドライトを消し忘れたハーレー乗りの
初老にはためらいなく声をかける事ができたり、

同じ長距離ツアラーだなーって人に、
今日はどこから来てどこに行くと聞いたり

偶然にも同じメーカーのバイク乗りがいれば
どうですかーと聞いたりその身軽さはある

 

一方、通勤では及び腰になったりするわけで。

 

 

失敗はしたくないって前提で、
でも失敗してもなかった事になるならその足取りは軽く
避けようがないものだと、どこか足取りは重くなる

それは失敗を恐れずブランコから飛ぶようなものなのか、
決死の覚悟で崖から飛び降りるようなものなのか、
それくらいの差がある。

そんな意味でコンタクトするための意を決した行為は
ダイビングと呼んでもいいのじゃないかとという考えです。

 

とかなんとかアルコール漬けの頭で考えてみたけど。

 

もしこのソーシャルダイビングって言葉が
他の人によってできたのであれば、
その人と同じ気持ちを共有してると思うし、

実は自分の中でできた単語であるならば、
共感してくれる人が居ると嬉しいと思うばかり。