何らかあって生活に変化が出てくるみたいなので、久々にネガティブな世界に飛び込んだ
大体人はネガティブな世界を避けたがる。まぁいやな気持ちにはなりたくないもんね。
ただその場所に立たないと見えない景色っていうのは確かにあって、そここそが辿り着くべき道だったりすることはあると思う。
ポジティブの世界から見える場所は、あまりにも果てしないからね。
そんな感じで自分のいなすあれこれを書こうと思う。
久々にネガティブな世界に飛び込んだので、明文化できればという感じ。
・・・まぁ酔っぱらって感情の振れ幅が高ぶってるからこそ書けるんだろうけど。
他人が苦しむ分には困らない
→善にしろ悪にしろそれは相対的な判断に過ぎない。良くも悪くも無関心で中立でいる事
そこに自分らしさを置くのはどうかと思うが、それでも選んできた道なんだ。
大体人の事まで見ていられるほど余裕なんてない。
問題あるならそれは自分が間違っているだけ
→そう簡単に人の人生なんて変えられない。自分の人生すら変えられないのだから。
何かを間違ってるとしたら、やり方なりツールの使い方を間違っているしかない。
4枚でポーカーをやっている
→人生はポーカーみたいなものなので、少ない枚数でも役を作る運だってある。
5枚あれば乗るなり降りるなりできるだろうが、そもそもこの人生において4枚しか配られていない。
フォーカードを信じるか?ワンペアで去勢を張るか?4枚って見られているのに?
酒は自分の身勝手にいつでも付き合ってくれる
→憂鬱な夜を過ごしたくないけどみんな寝ている。
そういう時にいつでも呼べる友達がいたら、依存しないわけがない。
身を滅ぼしてでも縋りつける何かは人生の中でいくつあるだろうか
初期パラメーターで通り過ぎるしかない。
→何物にもなれない自分が何者かに憧れて足掻くのはつらい。
自分が自分で居られればもう十分。もうそれで精一杯だ。
それ以上を望めるほどのパラメータをこの魂は持ってない。
ただ何者かに成れた人を心から祝える心があるだけで、この人生は成功なんだ。
膝をつく事で楽になれる事もある
→ネガティブは本来避けたい事かもしれない。だけど空中浮遊を続けるのもしんどい
そんな時に膝をついて絶望を目にすることで希望を見いだせる事もある。
人はどうやっても地からは離れられないからこそ、躓く事が必要なんだろう。
どう生きても安定なんてない
→生物として生きる以上、生き続ける事が正解で人生を尽くす価値があるものだ。
ただそんなに簡単じゃなくて、何を選んでも思い悩み辛い経験をするんだ。
可能性は希望であり不安そのものだからだ。不安は後悔の元だし。
それなら選びたい後悔の形を選んでいこうって。心なんて一生不安さ。
どっちを選んでも結局不安定だからね。
結局は失敗だけの人生を歩くしかない
→しょうがねぇだろ、この人生は1回目なんだから。
必死にやったって報われるかなんてわかんないんだから。
好きなことして報われるとは限らないけど、好きじゃない事をして
報われる事なんてないって35年経ってやっとわかった頃にはもう遅いもん。
それでも進むしかできない。TASもプロアクションリプレイもないんだよ。
ただうまくいった人を心から喜べる心があればそれでいい。
モーツァルトの成功を心から喜べるサリエリがいた世界線を模倣するように。