BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

ラインを越えて

時々思うことがある。
僕らが今まで生きてきた中でなんとなく感じている「超えてはいけないライン」みたいなもの。それは時に明示されていたり、暗黙の了解だったり、そもそも知るすべがない中でいきなりしっぺ返しがきたり無数のパターンがある。
そんな様々なラインについて果たして正しいのか、妥当なのか、それいいのかといったことを考えたりする。

 

 

 

人と分かり合う事。

ありがちなのは理解することと同意することは別。
同意するには、自分を変えていく必要があるので相応の労力が伴う
理解だけなら、そこまで変わる事もないなと、同意と理解のラインを意識したりする。
だけど分かり合うには限界がある。
限界を超えてすり寄るには、苦労なりリソースなりの対価が伴う。
そうした時、限界で押しとどめておくくらいがいいのかどうかというもの。
全部はできないし、まぁ互いにそんなもんだろうってくらいの理解でいいのかなとか。

 

肯定されること。

自分はそこまででもないけど周囲から肯定されやすいものと、自分だけでも肯定できたらいいなと思えるものの差。
一番の理想は自分で肯定しやすいものが、周囲から求められてるものだとうれしい。
でもそこに差があるときに、どこにポジションを置くか。 ちょうど真ん中を選んだらどうなるだろうとか。
リアクションも微妙だし、自分的にもそこまで・・・ってものに情熱が持てるのかな、なんて。


好きなものを夢として向き合う事

幼い頃の記憶としてゲームクリエイターになりたかった。
それがプログラマーなのかディレクターなのか、企画なのかBGM作る事なのかは漠然としていたがそんなことを思っていた。
現実的には、その道は労働環境としてあまりよくなかったり、2番目3番目にやりたい事までリソースが割けないと気づきその道をあきらめてしまった。
好きなものと向き合うときに、そこまで全力で体を粉にしないと報われないのかとやめてしまった。
でも思えば、粉にした人が報われるべき世界でもあるのかと思う。
ガチ勢とエンジョイ勢みたいな差がある。