BlackIceCoffeePhenomenon

溶け出す氷によって味が薄くなると併せ、味覚が苦味に慣れていくことで、加速度的に味覚への刺激が減衰する現象に関するブログです。

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日々の仕事で蓄積されるもやもやみたいな何かは相変わらずあって、それは以前よりは随分解消されてきた方ではある。

そのもやもやというのは結局の所、理解が足りない事や先が見えない事、何をするか見当がつかないという不安である事で、まぁそれもそうだな、と。 昔壊れた時に本とか読んでる時にも出たんだけど、「人間の問題は不幸ではない、不安である」という言葉の通りだろう。不幸は不幸なりに時間が解決したり、不幸の中にも癒しなりごまかしが効くんだけど、不安相手にごまかしは効かない。

 

10月~11月あたりは理解できない事による不安がピークで、早くも会社に行きたくないなーと思ったり起きるのが嫌になったり、退職代行サービスググったりしてた。 それくらい不安という感情は人をおかしくする。

 

というか人は、それなりの頻度でおかしくなったりする。

システムが故障しないように作るものという考え方は段々変わり、故障してもいいようにシステムを設計する事になった。 人もそうであるべきで、おかしくならないように生きようとすると、大衆に宛がわれた流行曲のようなありふれた歌詞に縋るしかなくなるので、おかしくなった時におかしくなったと認識して、それに応じた解消方法を探した方がいいだろう。

 

久しぶりの、今日の一曲はこちら。

私も育った街は大好きだし、いつまでも変わってほしくないなーと思うんだけど、変わっていくよね。
変わらないモノなんてないんだけど、でも変わってほしくないよね。
今年は帰れないけど、来年のどこかで。

 


森高千里 『この街』 (from Lucky7 Tour)

わくわくリモートワーク

全然わくわくしませんが。

居住する場所と勤務する場所が一緒になるという状況が特殊で、本来であればくつろぐためのスペースで仕事をしている。リラックスして仕事に臨んでいるともとれるし、本来休まる所で労働を強いられてるともとれる。

しかしなんと言っても強みは、通勤時間がない事だ。 通勤時間分まるまる睡眠時間に充てられる結果、夜更かしは加速するし移動していた時間分エンジョイできるのは強い。

一方で失われてしまったのは、その移動時間でやってたソシャゲのデイリーとかだ。 どうしてもなくならない時間の中で、限りなくエンジョイするためにあてがった楽しいゲームがなくなってしまった。 その分、家にいないと遊べないゲームに時間をかけられるようになった。

今のような環境が社会に出てすぐの私に与えられてたら、たぶんもっと極限まで遊びに時間をかけてたんじゃないかと思ったりする。 イメージは小学生の頃、15分休みで校庭に出てドッチボールをするあの感じ。22時からゲーセンに行き始める強みみたいな。

 

昔になればなるほど睡眠に対して雑だった。時代背景的にラグナロクオンラインが全盛期で、プレーヤーも厨房から留年決めた学生まで揃いも揃って睡眠の重要性なんて知らないやつらばかり。

5時45分起きだというのに3時15分に寝るような生活は明らかに破綻してるんだけど、楽しいから仕方ない。楽しさと睡眠を天秤にかけると楽しさの方が常に重いのだ。

 

この考えは今は変わっていて、睡眠は仕事・通学をするために仕方なく行われるものになってる。 本当は仕事のために寝るなんてまっぴらごめんだけど、でも足りてないと次の日が苦しいわけで、眠くもないのに布団に入って寝るみたいなことになる。 

寝る動機としては眠くなったからが一番理想で、次は目いっぱい遊ぶために寝ておこうが時点、仕事のために寝ておこうというのは動機としては不十分で後味が悪いんだけど、そこは寝たら忘れるので問題ない。

 

とりあえず今は5時間30分~6時間00分で寝てるけど、ほぼアルコールの分解時間そのものである。

禁酒したら睡眠時間は更に減るので、今くらいがちょうどよいのだろう

そうだったとして

毎年、忘年会をしています。

例年だと屋形船を取って、もんじゃ貪り食ってレインボーブリッジをバックに打ちあがる花火を見るという風流な事をしてますが、今年は屋形船はなしです。

10年くらいやってて参加してる人も、当時大学生は気づけばがっつり社会人で、遊ぶ金も増えたろうってのと、単純に量食う歳でもないよなってな感じで、今年はでぶ野郎さんに委任しました。

 

予定では12時40分に東京駅に集合して、13時8分の電車でゴーするわけですが、
まともに集合もできず、早くも酔っぱらい続出疑惑。

 

そして流されて奥多摩

うさみんだって電車で向かえば1時間なのに、2時間かかりましたからね。

それでいいんです。

東京ですよ?

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東京ですよ??

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大体の人が、お手軽に箱根や伊豆に行ったりするけど、こういう山間の町に趣を見出すのも、良いのではないかという感じでした。

そして宿につけば、うだうだと過ごして

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窓から見えるのは枯れ木と山。
それでいい。

 

風呂に入って、晩御飯を食べ、酒を飲み、風呂に入り、酒を飲み、眠るという、忘年会らしいどんちゃん騒ぎというよりは、日々の出来事を肴に飲むような感じでした。

そして目が覚めて朝ご飯を食べ、風呂に浸かり、支度をすれば足早に宿を去り・・・。

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とてもいい街だったね。今度は蝉がうるさい時期に行きたいものです。

Sapıklıktır

月曜~金曜の9時~19時くらいに社会との関わりを詰めてる人の、一日の流れは大体決まり切っているところがある。 なぜなら始業時間に間に合うよう逆算された起床時間と、起床時間から確保したい睡眠時間によって導き出される就寝時間で平日が構成されるからだ。 私の親が、今の私の頃くらいだったらまた話は別だろう。当時そこまでやる事があったとは思えない。

2000年過ぎたあたりから、徹底的な可処分時間の奪い合いに巻き込まれて、2010年になる頃には確保しておきたい睡眠時間以外の全てで、何かをやっている事になってる。

やる事がなくなったから寝よう、なんてものがなくなってしまった。

 

ここまで書いていて、わかるーってなった人は多分、同じようなタイプだし
んなこたーないって人は多分違うタイプだし、まぁそんなもんでしょう。

 

起床時間と就寝時間が決まっていて、始業時間と就業時間も決まっていて、昼食休憩と晩御飯時もある程度決まっていて、自由時間も毎日大体同じだとすれば、ある意味それは約束された一日と約束された時間のように思える。

それはまるでツアー旅行のように決められたタイムラインに身体を置いていくみたいな。

 

だから時々旅に出る。

起きる時間も寝る時間も、そしてその場所がどこかもわからない。それを決めていく事の楽しさは、まさに非日常そのものだからだ。

毎回場所も時間も違えば、それは不安定な事で、その不安定でいる事が楽しい。このあたりで寝る場所を探そうとして、それが全然見つからない時、少し命がかかって来たときに最高の時間は始まる。

業績や成果という何かために時間を費やすのでなく、自分が生きていくために時間を使う事。

 

合わない人には徹底的に合わないかもしれないけど、
こういう時間の使い方がたまにあると、刺激的でよい。

日常の決められたタイムラインでは、そういう時間の使い方に無気力になってしまうから、時々そういうのがあるといい。

時間と肉体が足りない

やりたい事が山盛りで積まれている。それの全てが本当にやりたい事かというと、そんな事はきっとないんだけど、見てくれの食事の豪華さが副菜の多さで成り立つように、より充実したものにするためにはいろんなものに手を出していった方がきっと良いのだ。

物語系のゲームをたくさんして、深夜アニメをたくさん見て、17時~21時と22時~24時のラジオを聞いて、VRCを遊び倒して、週末はキャンプに行って、連休がある休日は少ない荷物で旅に出て、ゲームセンターに籠って・・・

やりたい事が多すぎて人間じゃとても無理なわけで、体を分割したい所がある。

 

とはいえ半年無職やってた頃に、それらをやってきたかと言うとそれはMaybeで、なぜならやりたい事以上に、何もやりたくないという気持ちの優先順位が一定の地位をキープしているからだ。

でもそれは働き始める事で解消されつつある。仕事で疲れ休日の価値が上がった事で何かはしなきゃな、と。当然働くために生きるなんてまっぴらごめんで、遊ぶために生きてきたしこれからもそこは譲れないポイントなわけで、遊び続けなきゃいけない。そこに仕事が付け入る隙はない。

 

---日記

IT系の仕事の開発系のお仕事の大半は、この世にないモノを作る事にある。

作り方がありパーツがあってパチ組みするガンプラ的な感じなら人手不足もないんだろうけど、この世にないモノを作るので作り方を自分たちで決め、自分たちで材料を準備して自分たちでどの順番に組み立て、組み立てた後のモノをどう動かすかまでをみんなで考えてやっていく事にある。

みんなで・・・というのがポイントで、全員同じ方向が見えているという状態じゃないともやもやする。どこを見るのかもみんなで決めなきゃなんだけど。

そんなこんなで、徐々に見ている方向が見え始めた感じはするんだけど、今の会社はその方向性を指し示すドキュメントみたいなものがなく、やっぱりもやもやするわけです。

 

偉人は「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ・・・」と言ったが、今の場所にはやってみせがないので、聞いたことをぶっつけ本番でやるわけで、極めて非効率的だし全体像が見えないからもやもやするし、暗闇の中を歩くのは時間が無駄にかかり、仕事に身体が食われてしまっている。

時間がそれを解決するだろうと思ってるけど、それ以上に会社に対する好感度ゲージが下がってるので、いつか上がったらいいねという感じ。それは自分で何とかするしかないんだけど、その会社に対応する筋肉がつくまで、筋トレするしかないよね。残業や立ち回りを工夫する筋肉をつけていくしかない。

 

あぁ、働くって楽じゃないね。

自分という本を出すとき

小学校の頃、図書館に行くと偉人の人生をつづった本があって、それを見る事が多かった。自分の人生をどうしたいのかとか、そういうのは抜きに、ある人間の人生を観測するのが面白かったからだ。

それから何年もの時が過ぎて、すっかり大人になってしまったわけだけど、今、自分の人生をつづった本を作るとしたら、いささかボリュームがない事に気づく。偉人ではないから、そりゃ当然なんだけども。

とはいえ、本にしたときに波乱万丈の何かがあって、うまく起承転結が欲しくなるわけで、それを自分の人生に置き換えて第何章って組み立てた時、何かが浮かんだりした。

 

私の場合はこれだ。

これまでの人生を小説にするとするなら、
序章:19歳までの好きな趣味と好きな人たちに囲まれた甘美な日々
第一章:19歳から21歳までの、懐古と無謀な綱渡りに葛藤し生きる意味を探した時間
第二章:22歳から28歳までの、誰かに会いそして走り尽す自由
第三章:28歳から今に至る、より大きな事を成し遂げるために、資産を増やす修行のフェーズ
第四章:○○歳から始める自分の人生に決着をつけるフェーズ
終章:形はどうあれ幸福に最後を迎える

 

そうした時、私は今第3章にいる。

こういう感じで振り返ってみるのは面白いし、それらを経てその後どうしたいかみたいなのやんわり決めたりすると、すごく良いと思う。

ほら、未来の事は何もわからないとはいっても、どういう状態だったらいいなぁみたいなものはあると思うし

社会復帰して2カ月が経ちました

---日記
200連休の時にはそこまで価値を持たなかった休日という価値が爆上がりです。
特にやる事もないのに外に出たくなったりするあたり
やっぱり強いられてる方がパフォーマンス出るのかなと思ったりする限りです。
そうして待っている今週末は3連休。 まだ全く予定がない!
キャンプしたいけど寒いもんなぁ・・・
日帰りでどこか行きたいけど、起きれないし寒いよなぁ・・・
でも、せめてどこか行きたいなぁ。

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